デール・カーネギー氏って知ってますか。
あの、自己啓発本の。
あー、あの意識高い系の人が読むヤツでしょ。
そうです、そのとおり。自己啓発本ってやつです。
ぼくは結構自己啓発本が好きです。
自己啓発本といえば、
「人を動かす」「道は開ける」「話し方入門」のデール・カーネギー氏
「7つの習慣」のスティーブン・R・コヴィー氏
の二人が有名人ではないでしょうか。
ぼくはこの4冊、読みました。
この中で個人的にダントツに気に入ったのが
「道は開ける」
です。
この本を一言で表すなら
「悩み解決マニュアル」です。
・・・我ながらぴったりの表現が出来ました。完璧です。
デール・カーネギー氏が
「みんな色々な不安をかかえて生きてるのに、不安の解決法の本がないやんけ!」
と書いた本が「道は開ける」です。
この本の説得力があるところは、カーネギー氏が
「わいはスーパーマンやから、こうして不安を乗り越えてるんやで?真似してもええよ?」
と言ってるのではないところ。
カーネギー氏が、
実際に不安を乗り越えた人に話を聞いて、
その人達がどうやって不安をやっつけたかを紹介してくれています。
実名で紹介されているので説得力があるんです。
ぼくは3回通読しました。
今でもどうしようもない不安とストレスを感じたときに、ヒントを探してペラペラめくります。
ぼくにとって、人生のバイブル。
そんな本です。
中でも特に何度も使わせてもらった考え方を、ご紹介します。
自分用の忘備録でもあります。
※囲んでいる部分は全て、デール・カーネギー著「道は開ける」からの引用です。
古いことわざのほとんどを信じることができるなら、私たちはほぼ完璧な人生を手に入れることができるのだ。
古いことわざを勉強して、そのまま行動に移せば、カーネギー氏は「道は開ける」を読む必要はない、と言っています。
歴史を重ねて生き残ってきた、古いことわざは、それだけで正しいエッセンスがぎっしり詰まってる。
古いことわざだけでは説得力を感じられず、行動にも移せないという人に向けた本が「道は開ける」です。
不安でいればどんな代償を払わなくてはいけなくなるのか思い出すこと。「不安と闘う術を知らないビジネスマンは若くして死ぬことになる」
不安を感じると確実に体調が悪くなります。
動悸が早くなり、胃が痛くなり・・・胃潰瘍になる可能性だってあります。
不安に思ってることは実際に起こるかどうか分からない。
でも不安を感じると確実に病気が近づいてくる。
それって馬鹿らしくない?という考え方です。
スティーブン・リーコックは語る。
「子供たちは『大きくなったら』と言う。大きくなれば『大人になったら』と言う。やがて大人になれば『結婚したら』と言い、結婚したならしたでまた前言をひるがえし『定年を迎えたら』と口にする。そして、いずれ定年の日を迎えてふと振り返れば、そこには冷たい風が吹いているばかりで、すべてを逃し、失ってしまった後なのだ。そうして手遅れになってしまってから、『人生とは生きることの中に、目の前の一日、一時間の中にあるものなのだ』ということに気づくのだ」
私は自分に言いました。 「見ろよビル、お前の嫁さんはなんて幸せそうなんだ。結婚して十八年、彼女はずっと皿を洗い続けてきた。結婚した当時、これから自分が洗うことになる皿が未来に積み上がってるのを見たら、彼女はどう思ったろうな。まるで納屋みたいに積み上がった、汚れた皿の山だ。そんなものを見たら、どんな女でもうんざりするだろうよ」 私は、胸の中でこう答えました。 「妻が皿洗いを気にしないのは、毎日すこしずつ洗えばいいからさ」 そこではっとしたのです。私は今日の皿も昨日の皿も、まだ汚れていない未来の皿までいっぺんに洗おうとしていたのです。 なんて馬鹿だったのだろうと感じました。
このあたりのエピソードで特に記憶に残っているのは、人生を砂時計に例えるところです。
「砂時計のこれから落ちてくる砂は未来。砂が落ちている部分が今日。未来を全て今日の部分で通そうとすると壊れる」
うーん、深い。
今日は今日のことだけ悩む。明日のことは明日悩む。
そして目の前にある、この瞬間に集中する。この瞬間を楽しむ。
モンモンと悩んでしまったときや、日曜日に「明日から仕事か~嫌だな~」と思ったときは、この考え方を活用しています。
まずステップ一。恐怖心を棚上げして『最悪の場合どんな失敗が起こりえるのか』ということを、ありのまま検討してみる。
ステップ二。起こりえる最悪の事態を想定したら、今度は必要ならばそれを受け入れる決意をすること。私は自分に『もしこの仕事で失敗すれば経歴に傷が付き、もしかしたら職を失うことになるかもしれない。だが、もしそうなったとしても、私には新たな職を得ることができる』と言い聞かせる。
ステップ三。そこからは、心で受け止めた最悪の事態を改善すべく、落ち着いて時間と労力とを注ぎ込む。
不安を乗り越える3ステップです。
これは当時付き合っていた彼女と別れそうなときに、活用させていただきました。
原因が良く分からないのに、なぜか彼女と急に連絡が取れなくなったんですよね~。
彼女と別れるのが嫌で嫌で、考えるだけでイライラしてました。
仕事にも集中できずにこりゃいかんということになりまして。
そこでステップ1、最悪の事態「彼女と別れることになる」
ステップ2、受け入れる決心をする「もう向こうに気持ちが無いなら、どうしたって諦めるほか仕方ないじゃないか。嫌だけど、また婚活しよう」
ステップ3、改善策を探し、実行する「今日電話して、明日会いに行こう。会って話して、原因が自分にあるなら謝ろう」
そう決めただけで、スッとストレスが軽くなりました。
結局その夜メールの返事がきて、仲直りしたんですが、行動を決意するだけでストレスって減るんだな~と実感した次第です。はい。
「不安を生み出す最大の原因は、困惑だ」と聞いた。彼の言葉どおりにここに書いておこう。 「世界の不安の半分は、人びとが決断できる知識がないままものごとを決断しようとするから。たとえば、もし火曜日に直面すべき問題を抱えているとしたら、私は火曜日が来るまで決断をしようとすら思わない。それまでは、問題を取り巻く事実を確認することに、全神経を傾けるよ。不安になることなど何もない。問題のせいで思い悩んだりすることもなければ、不眠症になったりもしない。ただシンプルに、事実の収集にのみ集中する。そうすると、火曜日がやって来るころには、事実の把握もすっかり終わり、問題は自ら解決されてしまっているものなんだ」
仕事が分からなくて不安というときに、お世話になっている考え方です。
不安なら、勉強する!(事実を集める)
勉強が一番不安を和らげてくれる!
ということで、休日も少し仕事の勉強をしたりしてます。
15分だけでも、仕事の勉強すると、
俺って何て真面目なんだ・・・と自分に酔えます。
そんで不安も減らせるなんて一石二鳥じゃあありませんか。
決断したら即行動!
っていうのはさっきの彼女との危機のときにもお世話になった考え方ですね~。
「どんなに優れた知能を持つ人間でも、一度にふたつ以上のことを考えることはできない」というものである。あなたには、これが信じられるだろうか? それではひとつ、実験をしてみよう。 目を閉じ、自由の女神のことを考えながら、同時に明日の朝の予定について思いを巡らせてみてほしい(実際にやってみること)。さて、交互にどちらかのことを考えることはできても、同時に考えることはできなかったのではないだろうか
「与えられた仕事に没頭していると、ある心地よい安心感、内なる安らぎ、幸福な陶酔感が人の神経を鎮めてくれる」これはまさに、天啓というものではないか。
実際にやったら、同時には考えられませんでしたね。
自由の女神と明日の予定。
同じように、忙しくしていれば、不安を感じることはないっていう考え方です。
一生懸命仕事をすれば、救われるのか~、うーん。
・・・書いたはいいけど、あまり使ってない考え方でした(笑)
歳をとるにつれ、私はだんだんと「心配ごとの九十九%は起こらない」ということが分かってきた。
「では記録を調査しよう」。そして、自分にこう問いかけてみる。「平均の法則から見て、今不安に思っている事態が起こる確率はどのくらいだろう?」
心配ごとの9割は起こらない、なんていう本も確かありましたね。
なにかを不安に思っていると、実際にその心配事が起こったときと同じように動悸が早くなったり、胃が痛くなったりします。
まだ、何も起きてないのに、です。
自分のイメージだけで実際に体調が悪くなってしまいます。
これって馬鹿馬鹿しいですよね。
イメージトレーニングの間違った使い方です。
かつてぼくが、会社をずる休みしたときにお世話になった考え方です(笑)
ただの風邪だったのですが、風邪で休むっていうのも言いづらかったので
「インフルエンザの可能性が高いので、1週間休ませてください」
といったら
「よしそれなら仕方ないな。次の受診のとき、診断書を持ってこい」
と言われた時です(笑)
やばい・・・ずる休みがばれる・・・
会社で悪口を言われる・・・
会社にいづらくなったらどうしよう・・・
診断書書いてって病院に相談してみるか・・・?
書いてくれなかったらどうしよう・・・
我慢して出社すれば良かったか・・・
いや、正直に風邪って言えば良かったか・・・
やばい胃が痛くなってきた・・・。
と一日モンモンと悩んでいたことがありました(笑)
まずは、小さいことは気にしない!と自分に言い聞かせました。
「インフルと言ってしまったのはもう仕方ないじゃないか!」
そして、冷静にどれくらいの確率で最悪の事態が起きるが分析しました。
ぼくの欠勤を知っている人は何人だろう。係員20人だ。
欠勤で実際に迷惑がかかっている人は?同じチームの5人だ。
5人いれば仕事は全然回るから、怒っている人は?・・・いないんじゃないかな。
病院に事情を説明すれば、診断書書いてくれるかもしれないし。
まあ最悪、「風邪」って書かれても「すみません、勘違いでした」って言えばいっか!
っていうか今悩んでも何も変わらないから、そのとき悩もう!
と、休みを満喫しました(笑)
結局お医者さんが診断書をうまく書いてくれたので、万事解決。
今では笑い話です。
「不安と恐怖とを克服することができたのです。あの教訓は忘れません。今では、自分にはどうしようもないことで不安に襲われかけると、いつも肩をすくめて『気にするな』と言うことにしています。これは、効果抜群です。私のような、ビスケットのセールスマンにもね」 素晴らしい!このビスケット・セールスマンに、惜しみない拍手を贈ろうではないか
あのナポレオンでさえ、重要な戦いの三分の一には敗北を喫している。あなたの勝率も、ナポレオンとそう変わらないのではないのか。どうだろう? 王様の馬をみんな集めても、王様の家来をみんな集めても、過去を変えることなどできはしない。
これは自分ではどうしようもないこと、変えられないことを、不安に思ってはいけないという考え方ですね。
さっきのズル休みのときも活用させてもらいました。
インフルエンザって嘘を付いた過去をもう変えられない。
医者が診断書を書いてくれるかどうかなんて、ぼくにはどうしようもない。
今の職場の雰囲気を想像したって、自宅で休んでいるぼくには分かりっこない。
じゃあそんなことは悩むのやーめた、って訳です。
今でもイラっとしたシチュエーションではこの考え方にお世話になっています。
「いまイラっとしたことに対して、ぼくは何かできるのか?」と考えています。
車に横入りされた
混んでる駅で、他人と身体がぶつかった
仕事で八つ当たりのクレームを受けた
そんなときは、どうやったって変わらないんだから、イライラしないで受け入れちゃえばいいや。
ぼくって、なんて大人なんだろう・・・って自分に酔えること請け合いです。
南北戦争のさなか、友人たちが敵の悪口を言い始めると、リンカーンはこう言った。「どうやら君たちは私よりも、個人的な恨みを胸に抱いているようだ。私もけりがついたと思っているわけではないが、それでもそうした恨みはほとんど持っていない。口論に人生の半分を費やすなど、もったいないとは思わないか?」
だから敵と出会ったなら嫌悪するのではなく憐れみを抱き、自分が彼らのようにならなかったことに感謝の気持ちを持つべきだ。批判や復讐への欲望をつのらせるのではなく、理解し、手を貸し、同情し、許しを、祈りを捧げるべきなのだ
他人に対して腹を立てたとき、相手への怒りを持ち続けていると、自分が消耗する。
嫌いな人を愛することはできなくても、忘れることはできる。
嫌いな人に自分の人生を無駄にされるなんて、くやしいじゃないか、という考え方です。
この考え方に助けられたのは、忘れもしません、ある飲み会のときです。
ぼくを含めた男3人と、女1人で飲み会をしていたときのことです。
その女性(ぼくより年上です)が言いました。
「あなた(ぼくのことです)って、2人(他の男2人です)に比べて器が小さいわね」
かっちーん
男2人は、先輩1人と後輩1人です。
後輩にまで負けとるんか、ぼくは・・・。
てか、面と向かって「器が小さい」とかひどい悪口じゃないか!
ぼくは怒りを押し殺して言いました。
「・・・そうですよね。精進しないと・・・」
すばらしい、なんという大人の対応!惜しみない拍手を送ろうではないか!
これには彼女もぐうの音も出るまい!
すると彼女は無慈悲にもこう言いました
「今怒ったでしょ?分かるわよ。そういうところが『器が小さい』のよ」
ぼくは、考えるのをやめた・・・。
ぼくはしばらくこの女性が許せなくて、度々思い出しては発狂してました(笑)
でも怒りがおさまらない時間は、そっくりそのまま人生の無駄だという考え方に触れ、許すことを決めました。
ぼくの人生が勿体ないじゃないか!
これも、今では笑い話です。
半世紀にわたる私のこの人生でなにかを学んだかと訊かれれば、私は「心の平穏は、自分にしかもたらすことができない」と答えるだろう。これは、エマソンが『自己信頼』(海と月社 伊東奈美子訳)の締めくくりに書いた、素晴らしい一文を引用したものである。 「政治的勝利、地価の値上がり、病気からの回復、長く不在だった友人の帰還、そうした外部のできごとというものは、人の気持ちを高揚させ、すぐそこに明るい未来が待ち構えているかのような気分にさせてくれる。だが、信じたりしてはいけない。そんなことはあり得ない。心の平穏は、自分にしかもたらすことができないのだ
フランスの高名な哲学者モンテーニュは、「人はできごとそのものではなく、できごとを自分がどう見るかで傷つくのである」という言葉を人生のモットーとしていた。できごとを自分がどう見るか、それは私たち自身にすべてかかっている
自分の幸せは、自分が決める。
幸せは感じるもの。
テレビ、映画、本など様々なシーンで当たり前のように言われている言葉です。
でも、本当に、心で理解している人はどれくらいいるんでしょう。
ぼくもしょっちゅう忘れて、「あ~また忘れてら」ってなります。
さっきの女性に腹を立てた話もそうです。
失礼なことを言われたっていう事実はずっと変わってません。
でも、当時発狂していたぼくはイライラしていましたが、今のぼくは笑い話にしています。
事実は変わらず、気持ちの持ちようで世界は変わってるってことです。
ぼくが物事をどう考えるかで、ぼくの世界は決まる・・・ってことですね。
つまり、ぼくの人生を幸せにできるのは、ぼくの考え方だけ。
なんか宗教っぽいですかね・・・。
心配になってきました・・・。
「つまり、明るい気持ちでいられなくなったときに回復への道を自ら歩むには、もうすっかり元気になったかのように振る舞い、話すことなのだ」 こんな単純な方法に、果たして本当に効果があるのだろうか? これが、まるで外科手術のようによく効くのである。どうか、あなたにもお試しいただきたい。大きな笑みを顔に浮かべ、ぐっと胸を張り、大きく深呼吸をして、歌のひとつでも口ずさんでみる。歌が無理なら、口笛でもいい。口笛もだめなら、ハミングでも構わない。そうすればすぐにウィリアム・ジェームズの言うとおり、幸福で浮かれているかのように振る舞いながら、同時に深く落ち込んだ顔をしていることなど不可能だということが分かるはずだ。 このほんの小さな真実は、私たちすべての人生にやすやすと奇跡を起こしてくれる
明るく振る舞えば、明るい気持ちになれる。
引きこもっていれば、憂鬱になってくる。
感情と行動は、切っても切れない関係。
だったら、無理にでも楽しく笑っていれば、自然と楽しくなってくる。
落ち込んだ時こそ、笑えばいいじゃないか!
というなんともポジティブな考え方です。
でも実際にそうらしいです。
ぼくの知っているこれを証明する実験は、単純作業をさせる実験です。
2グループに単純作業をさせます。
1グループは普通に作業し、もう1グループは歯で鉛筆を咥えながら作業します。
(歯で鉛筆を咥えると、笑顔に似た表情になるからです)
結果、鉛筆を咥えたグループの方が、作業が楽しいと答えた人の割合が高かった。
こんな実験です。
無理にでも笑顔を作ると、楽しくなってくるってやつですね。
でもなかなか、難しい!
辛いとき、悲しいとき、不安なときに、胸を張って、笑顔でいるなんて!
言うは易し、行うは難し、です。
なかなか実践出来ていませんが、覚えておきたいテクニックです。
恩知らずは当たり前と思い、くよくよしないこと。キリストは一日に十人のハンセン病患者を治したが、感謝したのはたったひとりである。それ以上の感謝など、私たちが望むべくもない。 幸福を手にするための唯一の道は、感謝を期待することではなく、与える喜びのために人に与えること。 感謝の気持ちとは、本人が持って生まれたものではなく、周囲の人が育むもの。感謝を持つ子どもを育てたいなら、そのように育てなくてはいけない
見返りを求めてはいけないってことですね。
恩知らずで、感謝しないっていうのが人間の本性だから、そういうもんだと思って諦めなさい。
そのほうがイライラしませんよ、ってね。
20代のときに彼女と付き合ってた時にこの考え方を教えたかったです。
ぼくは彼女にアクセサリーを買ったのに・・・
ぼくは彼女を車で送って行ったのに・・・
ぼくは彼女のために時間をとったのに・・・
とまぁ、いつもいじけてましたね(笑)
与えることが、もう幸せっていう境地が理想なんでしょうかね。
「与えることで私はもう満たされています。与えさせてくれてありがとう。」的な。
・・・人間がんばれば、そんな風になれるんでしょうか。
ぼくはまだまだ時間がかかりそうです。
あなたは、十億ドル出すと言われて両眼を売るだろうか? いくら出されれば、両脚を差し出すだろうか? 両手はどうだろう? 聴力は? 子どもは? 家族はどうだろう? 自分の財産をすべて合計してみれば、ロックフェラー、フォード、モルガンという大財閥に金塊すべてを積まれても、決してそれを売り払うことなどできないとあなたは気づくはずだ。 しかし、そのことの本当の価値が私たちには分かっているのだろうか? ショーペンハウアーは「人は手に持つもののことは見ようとせず、手に持たざるもののことばかり考える」と言っている。まさにその通り。これは、世界でもっとも悲しき真理だといえるだろう。おそらくは、戦争などよりも多くの不幸や病を歴史の中で生み出してきたに違いない。
平穏と幸せな人生を送るためには、問題の数ではなく、祝福の数をかぞえる。という考え方です。
ぼくは月曜日の朝
「仕事に行きたくないなぁ・・・5日働かないと休みがこないのか・・・きつすぎでしょ・・・・。」
ってときによくこの考え方を使わせてもらってます。
こんな風な文章をスマホのメモ帳に入れて、読んでます。
おいおい、月曜日の朝に仕事に行きたくないだって?
ずいぶん、贅沢な悩みだな。
フィリピンに旅行に行ったときの、物乞いの女の子を思い出しなよ。
通りすがる外国人観光客の後を付いて行って、歌を歌って、冷たくあしらわれても、生きるために物乞いをしていた女の子だ。
ぼくが少ない紙幣を渡すと、あの女の子は道端に寝ている体調の悪そうな家族の方に走って行ったっけ。
他にも「夜の霧」を読んだだろ?
アウシュビッツ強制収容所に入れられた作者の日々を思い出しなよ。
休みは1日もない。
食事は1日にパン1個、お湯みたいなスープ1杯。
強制収容所の入口で引き離された愛する家族はすぐに殺されてしまう。
そして作者はそれすら知らされないで働かされる。
いつか愛する家族とまた会えると信じて。
自分だって常に死と隣り合わせなのに。
それとくらべて、ぼくはどうだ?
治安の良い裕福な日本に生まれて、ちゃんとした仕事だってある。
もちろん土日は休みだ。
好きな物も食べられる。
好きなお酒だって飲める。
大切な家族も恋人もいる。みんな健康だ。弟には二人の子供がいる。
仕事も安定している。
うちの会社に入るため一生懸命就職活動している若者がたくさんいる。
職場の仲間は皆優しく教えてくれる。
定時に帰ることができる。
友達にも愛されている。
それなのに、不幸せの数を数えるのかい?
幸せの数はこんなにたくさんあるのに?
これで不幸だっていうなら、いったいいつ幸せになるんだよ。
以上、こんな感じですね。
当たり前の幸せって、忘れがちです。
でもその当たり前がどれだけありがたいかってこと、たまに思い出すべきですよね。
健康と同じで、失って初めて分かるんです。
ときどき思い出して感謝するようにしています。
・・・油断するとすぐ忘れるので(笑)
いかがでしょうか。デールカーネギーの「道は開ける」は。
少しでも心が動く言葉がありましたか。
ほとんど引用になってしまったような気がしますが、
ぼく自身、まとめているといくつも再発見があった気がします。
この記事は「道は開ける」の魅力の10000分の1くらいしか伝えきれてません。
興味があれば、是非読んでみてください。
ぼくの人生の中で1番のおすすめ本です。
あなたの不安解決のバイブルになるかもしれませんよ。
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