データ野球とは

データ野球とは、データを重視する野球という意味でID野球(IDは、Important Dataを意味する造語)とも呼ばれています。
1990年、野村克也氏がヤクルトスワローズ監督時代に提唱して、チームの改革を図りました。
セイバーメトリクスという手法が登場するまでは,日本ではこのデータ野球(ID野球)がデータを重視する野球の代名詞だったようです。
簡単に申しますと、経験や勘にとらわれず、データを元に科学的にチームを運営する方法です。
野村氏は他球団のデータを徹底的に分析し、データ野球をチームに浸透させたのです。

では具体的にどのような改革を行ったのでしょうか。
主砲のバッターには三振を減らすことや、状況に応じたバッティングをするように指導し、正捕手であった選手を外野に回して、入団したばかりの古田選手の才能を見抜き、レギュラー捕手に抜擢しました。
1年目は改革が結果には結びつかず、良い順位でシリーズを終えることは出来ませんでしたが、捕手として徹底的な教育と受けた古田捕手は翌年には一流打者への仲間入りを果たすほどの成長を遂げました。

データ野球、ID野球という言葉も有名になり、他のスポーツでもID○○という形で使われるようになりました。

 

データ野球の申し子

データ野球の申し子と言えば、捕手でありながら首位打者を獲得し、2000本安打を達成した古田敦也氏でしょう。
入団時には野村克也氏から「肩は一流だが、打撃は二流、リードは三流」と評されましたが、最大の武器である強肩を活かすため、捕手としての技術を教え込まれました。
1991年、オールスターゲームの第1戦では相手走者の盗塁3度を全て刺し、MVPを受賞しました。
シーズン全体では落合博満との競り合いの末、打率.340で首位打者を獲得するなど、その後も数々の輝かしい成績を残しました。

さらに現役時代にはヤクルトスワローズで捕手や外野手として活躍、その後は楽天ゴールデンイーグルスで野村氏の傍でコーチとして鍛えられた橋上秀樹氏もデータ野球の申し子と呼ばれています。
楽天でのヘッドコーチ時代、当時の野村監督からデータ野球におけるデータの活用法を徹底的に学びました。

橋上氏はスコアラーから得られる情報をただ選手に教える、ということをせず、手元の資料と相手投手の特徴をチェックして対策を考案します。
その生のデータを試合前でも、たとえ試合中であっても選手に伝えているため選手からも尊敬される存在になっています。

 

データ野球と野武士野球

野村克也氏が提唱したデータ野球は、管理野球の代表格として挙げられることが多いようです。
管理野球では魅力のあるチーム作りは望めませんが、適材適所に選手を活かすことによって、長期に渡り力のあるチームを作り上げることができます。
管理野球で特に有名なのが広岡達朗氏で、広岡氏が監督時代に選手の食生活など細かい部分まで管理したため「管理野球」という言葉が使われるようになりました。

野村氏は西武球団所属中に広岡氏のもとで現役選手でした。
プレー中はサインを出して、選手への指示をすべてベンチから出すという野球です。
キャッチャーの出す投手へのサインまでベンチからの指示、ということありました。
野村氏のデータ野球もこれに近い形です。

逆に野武士野球とは、戦力をフルに使い、魅力あるチームを作り上げて強豪にすることができます。
しかし長期的な戦力の保持には適しません。
1990年代以降は仰木彬氏、東尾修氏らが代表格とされています。
個性的な選手が野性味溢れる野球を披露し、管理野球とは対角にありました。

今までデータ野球と野武士野球の対立が魅力的な試合も多かったことでしょう。

 

データ野球とセイバーメトリクス

野球は元々データが豊富なスポーツです。
投球の種類、打点、守備などプレーの総てを数値で記録することが出来ます。
アメリカでは1970年代になるとお気に入りのチームや選手を応援するだけではなく、試合のデータを統計的に分析して楽しむことを始める野球ファンが増えました。
その高度な分析は「セイバーメトリクス」と呼ばれて現在までに普及してきたのです。

このセイバーメトリクスとデータ野球の共通点は、データ分析を重視するという点です。
しかし相違点も多くあります。

セイバーメトリクスでは攻撃力を重視しますが、データ野球では投手力を重視しています。
これは守備力のデータが扱い辛いという事情にもよるようです。

データ野球では積極的に盗塁を行っていますが、セイバーメトリクスでは盗塁はあまり必要とされていません。
セイバーメトリクスではアウト数が増えることを非常に嫌っているからです。

以上のようにセイバーメトリクスの観点からはデータ野球が同じ戦略や戦術を多用しているとは言えないようです。

 

初めて野球にデータを持ち込んだ人物

データ野球の父と呼ばれている人物がいます。
尾張久次氏はスポーツ新聞の記者として野球を観戦しているうちに、試合のデータと自分の仮説を照合することでデータ野球理論を形にしていったとされています。

尾張氏がスコアラーを務めていた1950年代は、映画マネーボールで取り上げられた野球理論の本が出る20年前です。
そんな時代に野球に数字や科学を持ち込もうとしたことは驚嘆の一言です。
当時のメジャーリーグでさえ持っていない分析結果だったようで、尾張氏は50年も前に最も進んだデータ野球理論を持っていた人物と言えるでしょう。

彼の書いた「尾張メモ」が後に、野村克也氏のデータ野球の原点といえるものであったようです。
そのメモの内容は非常に精密で、一見するだけではわかりにくいのですが、実際は考え抜かれたものでした。
選手は自分の技術や勘、経験などにこだわる人が多いようですが、尾張氏はその頃から試合を数値化しデータにして情報を集めていました。

尾張久次氏の功績は、データ野球として日本の野球界にその重要性を認識させたことだと言えるでしょう。