今話題の本「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著)を読みました。

漫画版を読んでみて興味がわき、結局文庫本も買ってしまいました。

 

恥ずかしながら、ずっと「僕たちはどう生きるか」という作品名だと間違って覚えてました。

主人公のコペルくん(本名:本田潤一)は中学生です。

仲良しの叔父さんと一緒に、銀座のデパートの屋上から下の道路を走る車や自転車を見ていて、ふと

「人間一人一人が集まって社会が出来てる。人間はまるで分子みたいだね」

と叔父さんに伝えたところ、まるでコペルニクスのように自分の頭で考えて何か発見したことを褒められ「コペルくん」とあだ名が付けられました。

コペルくんが中学校で友達と一緒に「いじめ」「けんか」「仲直り」などを経験し、悩みを叔父さんに相談し、叔父さんにアドバイスを貰いながら成長していく物語です。

小説でありながら、自己啓発本でもあります。

とても読みやすい文章なので、子どもが読んでも良いのはもちろん、大人が読んでも前向きな考え方に出会えると思います。

 

叔父さんがコペルくんが感じたことに対して、ノートでメッセージを伝えていくのですが、そのノートに良い言葉が満載です。

 

・多くの人が水が酸素と水素からできていることは知っている。こういったことは授業で実験を見ながら、納得することが出来る。ところが、冷たい水の味がどんなものかということになると、もう自身が水を飲んでみないかぎり、どうしたってわからせることができない。こういうことが、人生にはたくさんある。

・だからこういう事についてまず肝心なことは、いつでも自分が本当に感じたことや、真実心を動かされたことあら出発して、その意味を考えてゆくことだと思う。自身が心から感じたことや、しみじみと心動かされたことを、くれぐれも大切にしなくてはならない。

・電気も時計もあらゆるものは誰かの仕事で出来上がっている。数えきれない大勢の人が繋がっている。でも皆見ず知らずの人。

・人間一人が経験できることには限りがあるが、人間には言葉と文字がある。自分の経験を伝えることができる。様々な人の様々な経験を矛盾なくまとめあげたのが学問。学問は人類の今までの経験を一まとめにしたものといっていい。その経験を受け継いできたから人間は野獣同様の状態から今日の状態まで進歩できた。だから僕たちは出来るだけ学問を修めて、今までの人類の経験から教わらなければならない。

・人間同士お互いに好意をつくし、それを喜びとしているほど美しいことはない。それが人間らしさ。

・人間の本当の値打ちはお金持ちではない。貧しいからと言ってつまらない人間と考えてはいけない。ただし貧しい境遇にいる人達の傷つきやすい心はかえりみるべき。

・貧しい人を蔑んではいけない。世の中で大多数を占めている人々は貧乏な人々。

・貧しくなく、勉強を妨げるものがなく、自分の才能を思うままに伸ばせることが、どんなにありがたいことか考えないといけない。

・物にしろ学問にしろ生産する人なくして世の中は回らない。消費だけしている人より生産している人の方が立派。

・ナポレオンは権力を一身に集めたが、彼の力によって新しい世の中の秩序が生まれた。この野心的な行動さえ世の中の役に立っていた。

・英雄や偉人の中で本当に尊敬できるのは人類の進歩に役だった人だけ。「人類の進歩につくした人々」という本を読んだ方がいい。

・ナポレオンも最後は多くの人を苦しめる、人類にとって有害なものと化してしまい、没落していった。

・大人になると、良い心掛けをもっていながら弱いばかりにその心掛けを活かせない、小さな善人がどんなに多いことかに気付く。世間には悪い人ではないが弱いばかりに自分にも他人にも余計な不幸を招いているひとが決して少なくない。

・「王位を奪われた国王以外に、誰が、国王でないことを不幸に感じる者があろう。ただ一つしか口がないからといって、自分を不幸だと感じる者があろうか。また、目が一つしかないことを、不幸に感じない者があるだろうか。誰にせよ、目が三つないから悲しいと思ったことはないだろうが、目が一つしかなければ、慰めようがない思いをするものである。」(パスカル)

・怪我や病気で体の痛みを感じるのは、本来の人間の体がどういう状態にあるのが本当か知らせてくれる、ありがたいもの、なくてはならないもの。

・人間が本来、人間同士調和して生きていくべきものだから、自分たちの不調和を苦しいものと感じる。人間がこういう苦痛を覚えうるのは、人間がもともと憎み合ったり、敵対しあったりすべきものではないからだ。僕たちは自分の苦しみや悲しみから、いつでも、こういう知識を汲みだしていかないといけない。

・自分勝手な欲望が満たされないから不幸だと考えている人は、虚栄心を捨てられないのが原因で、それさえ捨てればなくなってしまうもの。

・自分自身の誤りを認めることは辛い。しかし過ちをつらく感じることのなかに人間の立派さもある。「王位を失った国王でなかったら、誰が、王位にいないことを悲しむものがあろう」正しい道義にしたがって行動する能力を備えているから、自分の過ちがつらいのだ。この苦しい思いの中から、いつも新たない自信を汲みだしていこうではないか。正しい道に従って歩いてゆく力があるから、こんな苦しみもなめるのだと。

・「誤りは真理に対して、ちょうど睡眠が目覚めに対すると、同じ関係にある。人が誤りから覚めて、よみがえったように再び真理に向かうのを、私は見たことがある。」(ゲーテ)

・言葉だけの意味を知ることと、その言葉によってあらわされている真理を掴むことは別なこと。偉人の名言や諺を知ってる人は多くても、心で理解し実践している人は少ない。昔から言われていることをそのまま実践できれば、悩みはほとんど解決するはず。